青春の長い期間、美の概念を意識せずに過ごしてきた。美を初めて意識したのは、大学を出てかなりたった頃、森有正(1911~1976年 哲学者、フランス文学者)のエッセイ集「思索と経験をめぐって」の冒頭の「霧の朝」の中で、彼が「美のひとつの定義に到達したこと理解をした」の一文に接したときである。
この経験は、彼が西欧に来てある女体の彫像の美しさにひかれたとき、そのひかれる根拠のつかめない焦燥の念があるという事態に直面し、それは「限りなくひらかれながら、そのひかれる根拠が深くかくされている」という事態であり、それこそが美のありようで、個々の作品が一つ一つの美の定義を構成しているという理解であった。
それを、私は、「彼は異郷の西欧の地で美の定義に出会った」と理解した。青春の後期からリルケの「マルテの手記」や加藤周一の「羊の歌」でパリを中心とする西欧文明に惹かれていた私は、森有正の出会った「美の定義」に出会いたいと思うようになった。
その機会は、偶然に訪れた。五十歳になる少し前、仕事の関係で、フランス、スイス、ドイツ、イギリスの四か国を二週間でめぐる視察旅行に参加する機会を得た。この時、歴史を積み重ねた西欧の石の文化を体感出来た。
この旅行でスイスのチュリッヒを訪れたとき、三時間ばかり自由時間に、旅行団の一人から、美術館でクールベをその帰りに聖マリアンヌ教会のシャガールのステンドグラスを見ようと誘われた。美術館で時間を取られて、最後に辿りついた薄暗い教会の中で、私は、衝撃的に美しいステンドグラスを見た。言葉では、表現できない一瞬の輝きをそこで体験した、その美しさに感動して、絵葉書を買ってきたが、あの暗闇の感動がよみがえることはなかった。
しかし、言葉で表現できないものがあることの鮮明な体験は、その後の美への道を示してくれるに十分なものであった。