小林秀雄が、モーツァルトに関するエッセイの中で、ある時街角で、交響曲41番を聞き、ある衝撃と感動を覚えたので、すぐに自宅に戻り、その曲を聞き直したが、もうその衝撃と感動は、蘇らなかったと書いているのを読んだことがある。この時彼は、音楽を通して、「永遠」と出会ったのだと思う。
音楽が、人間精神と微妙に共鳴するものであることを感じたのは、もの心ついてすぐの頃だったが、本格的に音楽を意識し始めたのは、中学時代、昼休みにクラッシック音楽を放送する係となったことと関係している。学校には、数多くのレコード盤があり、音楽をかける内に、数多くの名曲に接するようになった。高校に通うようになった頃、名曲喫茶なるものが出来始め、都会の高校へ通っていた私は、友人に誘われそこで音楽を聴くことを覚えた。学生時代に音楽を聴く機会は少なかったが、コーラス全盛の時代で、ロシア民謡やスコットランド民謡等機会あるごとに歌っていたように思う。
会社に入って、社会生活に慣れない時期、勤務を終えてから二時間ばかり、音楽喫茶で過ごすこともあった。
音楽の力を再認識したのは、東京での単身赴任生活の中で、とかく沈みがちな精神を元気にしてくれたのは、音楽で、青春時代見向きもしなかったビートルズを初めてしみじみ味わった。
友人宅で、謡の教本を見つけて、謡曲なるものを知ったのも、単身赴任の時であり、定年後ふとしたきっかけで知り合った人が、謡の名誉師範で、教室を開くというので、弟子入りして謡を始めた。謡七年舞三年と云われ、七年間月二回個人教授を受け、一通り謡えるようになった。全身を共鳴させる謡に快感を覚え、個人教授を終えてからもサークルで月一回の合吟を楽しむようになった。
世は、音楽で満ちている。せめて楽器の一つくらい自由に奏でることが出来ないかと願いつつここまで来てしまった。それが出来ることが出来るだろうか。音がもたらす新たな感動と世界、その出会いの訪れを楽しみにしている。