私にとっての詩は、当初精神の衝動に一定のフォルムを与えるようなものであった。思春期の不安定な心は、教科書に出てくる北原白秋や島崎藤村の詩によって癒しと静めの作用を受けた。その五七調や七五調のリズムの心地良さに導かれて、国木田独歩の「武蔵野」の美文にも惹かれた。漢文を学ぶようになると杜甫や李白の詩に惹かれ、蘇軾の名文「前赤壁賦」に感動し、土井晩翠の三国史の諸葛孔明の死を詠った「星落秋風五丈原」に長詩の面白さを知った。
大学の文学サークルで、村野四郎を通して、現代詩の世界に目覚め、ゲーテやハイネ等の抒情詩からボードレールやランボウ等の外国の詩にも接するようになり、やがて荒地派の一連の詩人達の詩に出会うことになる。
この中で、田村隆一の詩に出会ってようやく、自分の精神の形を自覚するようになった。
その私にとって、詩は存在に対する精神の覚醒と驚きの表現である。精神が怠惰に流れそうになり、生きることの感動が失われそうになるたびに、一篇の詩句によって、精神を覚醒させることは私の生活の一部となってきた。
かって、リルケは、「マルテの手記」の中で、本当の詩句は、様々な出会いと別離の経験とその追憶の果の生涯の最期のまれな瞬間に訪れるものだと述べていたが、その条件を満たす年代となった今、その力が私に残っているだろうか。
そのような詩句は生まれてこないかも知れないが、覚醒する詩精神に導かれて、散文やエッセイの形で、存在に対する驚きや感動の一部を表現することは可能かも知れない。生涯の内に数編の詩とエッセイと数枚の絵画を残せればよいと覚悟してからもう十年になるが、その思いは今も変わらない。