時間と風景をめぐってー日常の中の幾つもの時間と異風景との出会いー

日常の中に、幾つもの時間の流れのあることに気付いたのは、定年後の生活の中でであつた。

丁度、太平洋の中に黒潮だの親潮などのような海流が流れているように、我々の日常生活の中には、多様な時間が流れているようなのである。そして、その各々の流れの中では、日常の風景が微妙に違ってくる。我々の命は、時間と空間が密接に結びついている時空連続体の一筋の光の糸のようなものであると頭の中では、理解していたが、そのことが時間の多様な流れと多様な風景として実際に感じられるとは、思ってもみなかった。

特に、はっきりするのは、現役のサラリーマンと接するときである。定年後、現役の会社員と接するとき、彼等を取り巻く時間の早さに巻き込まれそうになる感覚が、エスカレーターに乗る時に感ずる加速度に似ている。そういえば、数年前長女の二人目の出産のとき、2ヶ月近く、我が家に滞在していた5歳の孫は、いつも有り余る時間をもてあましていた。彼女には、大人とは、全く違った時間が流れているようであった。

こんなとき、僕より10歳若い俳人 長谷川櫂の「俳句的生活」という本の中に、日本人は、文化的に三つの暦の時間を生きていると書かれてあった。

すなわち、新月を基準とする太陰暦が西暦604年中国から伝えられたが、それ以前の古代の日本は、満月を基準とする太陰暦を使用しており、明治維新の後明治5年に太陽暦が導入され、この年の12月3日を明治6年の1月1日としたときから新暦が始まった。お盆等の日本の伝統的な行事は、歴史的に仏教の導入と結びついている場合が多く新暦と旧暦の混同や混乱は、現代まで、続いている。古歌を読む場合は、この時間の違いを頭に入れ、古代の時間の流れから風景をみる必要がある。

かくてあの西行の歌ねがわくば、花の下にて我死なんもあの如月の望月の頃」の如月の望月が今の3月末であり、謡曲「竹生島」の中の「頃は弥生の半ばなれば・・」の弥生は、今の4月ということになる。日本の日常には、仏教渡来前の神道と仏教渡来後の中国文明そして明治維新後の西洋文明に代表される三つの時間が流れており、これが多様な四季の変化と相まって豊かな日本文化の土壌を形づくっている。

時間は、社会生活や文化生活の中で多様に流れているだけでなく、肉体的・精神的状況によっても異なる。かくて、幼児から少女、少女から娘、娘から妻、妻から母、母から老婆へと移ることは、均一な時間の中での変化ではなく、異なる時間の流れへの飛び移りのようなものであるのかも知れない。

平社員から主任へ、主任から課長へ、課長から部長へサラリーマンも又社会的な異なる時間の飛び移りをしているわけで、これら多様な時間には、その時間流からの風景が多様に展開していることになる。我々人間は、本質的にタイムトラベラーなのだ。人生を豊かに生きるとは、多様な時間を生きることであるのかも知れない。今日は、借りて来たCDで、アニメの「時をかける少女」を見た。このときは、確かに、50年もタイムスリップして青春の時間の中を泳いでいた。