禅と良寛をめぐって

もう、30年以上にもなる。43歳で運転免許をとった数ヶ月後の頃、大學時代の友人から、河口にある別荘で、有志による同窓会を開催するので、参加しないかという誘いがあり、中央道を走って、大月インターから富士の樹海の中のその山荘まで、車で出掛けたことがあった。

早朝の中央道を走っていたとき、ふとラジオに耳をやるとNHKの番組で、臨済宗の中興の祖と云われる白隠禅師の話をしていた。それが、禅との出会いのきっかけとなり、それ以降、禅に関する書物を読み漁り、気かつけば、自分で座禅をするようになっていた。

まもなく、バブルの絶頂期を向かえた頃、唐津順三の「良寛」(ちくま文庫1989年発行)の本に出会い、たちまち、良寛の漢詩とその世界に魅了されてしまった。良寛の漢詩を全て、読みたいと云う気持が、次第にたかまって押さえがたく思われたとき、今年3月で取り壊される中日ビルの3階の書店で、渡辺秀英の「良寛詩集」( 木耳社1994年増訂5刷発行)を見つけた。

以来この本は、私のもっとも大切にしている本の一冊となり、今も手元にある。それまで、良寛は、和歌と書で知っていたが、それに劣らず、多くの漢詩を残しており、その詩の多くは、良寛の心象世界を、的確に表現しているように思われた。その一端は、唐津も絶賛する次の詩の中に表れている。

瀟条 三間の屋     瀟条 三間の屋

終日無人観       終日人の観るし

独座間窓下         独座す、間窓の下

唯聞落葉頻         唯聞く、落ち葉の頻りなるを

喧騒たるバブルの最中、良寛の漢詩を読み、その世界に触れることは、当時の私にとって、心の慰みであり、自分のこころが最終的に落ち着く場所を得た思いがした。

良寛は、40歳から、59歳まで、国上山の五合庵に住み、59歳から69歳まで、乙子神社境内の草庵に住み、69歳から三島郡島崎の木村元右衛門方の草庵に移り、74歳で死ぬまで、その草庵で過ごす。良寛の漢詩の多くは、五合庵時代に書かれている。

良寛が、若き貞心尼と出会い恋(?)をするのは、木村元右衛門方の草庵に移つた直後の69歳のときであり、このとき貞心尼は、29歳と云われている。