フランスロマン主義とシュールリアリズムーその2

3.フランスロマン主義とドイツロマン主義

3.1フランス文学運動の三つの流れ

19世紀以後のフランスの大きな文学運動は、大きく次の三つに代表される (各定義はwikipediaによる)

象徴主義(サンボリスム;フランス語: symbolisme)とは、自然主義や高踏派運動への反動として1870年頃のフランスとベルギーに起きた文学運動および芸術運動である。1886年に「象徴主義宣言」« Le Symbolism  »を発表した詩人ジャン・モレアスが、「抽象的な観念とそれを表現するべきイージュの間にこれらの詩が打ち立てようと望む類比関係を指し示そうとして」提案した。

ダダイズム(仏: Dadaïsme)は、1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動のことで、ダダイズムダダ主義あるいは単にダダとも呼ばれる。第一次世界大戦に対する抵抗やそれによってもたらされた虚無を根底に持っており、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想を大きな特徴とする・

シュールリアリズム(超現実主義) (仏: surréalisme)は、理性の支配をしりぞけ、夢や幻想など非合理な潜在意識の世界を表現することによって、人間の全的解放をめざす20世紀の芸術運動。ダダイズムを継承しつつ、フロイドの精神分析の影響下に1924年発刊されたブルトンの「シュールレアリズム宣言」に始まる。画家のダリ・キリコ・エルンスト、詩人のアラゴン・エリュアール・滝口修三らが有名。

これらの流れる背景は何であるのか、これが私の問題意識であった。澁澤龍彦のこの本は、私のこうした問題意識にピッタリと照準を合わせたような本であった。

3.2西欧思想の土壌

西欧の思想を理解するためには、その古層を見る必要があると常々考えてきた。西欧思想は、二重の支配的思想の支配とそれへの反発の歴史とみることができる。その支配的思想とはすなわちローマ時代から近代にいたるまでのキリスト教的世界観とフランス革命以降の啓蒙主義的理性主義的世界観である。その両者の共通点は、明快さと論理性〈アポロン的世界〉のように思える。

キリスト教的世界観は、ローマ時代にそれ以前にあった自然のアニミズム的世界観を征服し、それらを表の舞台から駆逐したが、そのことへの反発は、地下に潜って、錬金術等ヨーロッパ神秘主義としてヨーロッパの裏の思想の底流として生き続け、やがてそれは、古代のギリシャ思想と結びつき、ルネッサンスの人間中心思想や近代科学を誕生させることとなった。

 3.3フランス革命の衝撃とロマン主義運動

近代科学のもたらした合理的精神は、フランス革命をもたらし従来の封建的社会や意識を破壊し、やがて近代合理主義としてキリスト教世界を突き崩してゆく。

フランスを中心とする啓蒙主義は、ナポレオン戦争を通して、ドイツ、ポーランド、ロシアへと全ヨーロッパを巻き込んでゆく。一方キリスト教的世界観の弱体化は、それまで抑圧されてきた神秘主義の勃興を促すともに、啓蒙主義の限界と負の側面に光を当てる動きももたらす。特に、フランスと絶えず対峙してきたドイツにおいて、それはドイツロマン主義として開花するが、啓蒙思想の本家のフランスでは、それらは、公然たる思想的な動きとして開花することなく、社会の片隅に追いやられることになった。この動きが、フランス革命後の社会的な混乱の中で目を覚まし、文学運動として表面化してきたのが、フランス象徴詩からダダイズムそしてシュールリアリズムの流れではなかろうか。フランス革命以降のフランス社会の変動をざっと見てみると次のようになる。

1789年フランス革命の勃発とブルボン王朝の崩壊第一共和政の開始

1804年第一共和政の崩壊とナポレオンによる第一帝政の開始

1814年第一帝政の崩壊とブルボン王政の復活

1830年7月革命によるブルボン王政の崩壊とオルレアン家による7月王政の成立

1848年2月革命による7月王政の崩壊と第二共和政の成立

1851年ナポレオン三世によるクーデタによる第二共和政の崩壊と第二帝政の成立

1870年普仏戦争によるナポレオン三世の敗北と第二帝政の崩壊とバリコミューンの失敗と第三共和政の誕生

1945年第二次世界大戦の終了と第四共和政の誕生

1958年ドゴール内閣の誕生と第五共和国憲法の制定と第五共和政の発足

ロマン主義運動とはもともと、論理に対して非合理なものを、知性に対して無意識的なものを、歴史に対して神話又は伝説を、日常的なものに対してを、に対してを、それぞれ称揚する精神の運動に他ならない(澁澤龍彦)」この運動は、合理主義の代表者としてのナポレオンに対するアンチテーゼとしてドイツを中心として沸き起こってきたため、フランスではドイツの猿真似的なものでしかなかったとみなされてきたが、フランス革命以降の何度にもわたる政権交代や混乱の中で、ドイツとは別の形でその流れが形成されていったようで、それが、象徴詩運動からダダイズム、シュールリアリズムの流れの底流となっていったということらしい。

フランスロマン主義とシュールリアリズム-その1

  1. 西欧詩と私

高校時代にランボオやボードレール、マラルメといったフランス象徴主義の詩に魅かれたのは、私だけではなかったようである。永い間、これは、その当時、旭丘文芸部にいた、友人の影響で極めて、限定的な現象であったと思い込んでいた。しかし、ある時、あれっと思わされる出来事があった。それは、明倫山岳会の70周年記念のパーティの席上でのことである。たまたま、同じテーブルに居合わせた一年下の尾崎という男が、高校時代、やはりランボオ等フランス象徴主義の詩に夢中になっていたと語っていた。彼とは、当時それほど親しくなかったこともあり、話はそれ以上に進まなかったが、あの当時僕らの世代の中にある一定の広がりをもって、フランスの象徴詩やシュールリアリズムへの憧れかがあったのは、事実である。

 その後、私の関心は、ブレイクやエリオット等に代表されるイギリスの詩やドイツロマン主義に移ってゆき、フランスの詩では、ルイ・アラゴン等わかりやすい詩にしか興味がわかなくなった。しかし、潜在意識の中で、あれは何であったのかという疑問がずっと続いていた。 

フランス象徴主義と社会問題との関係を教えてくれたのは、古書展で、見つけた大島博光のランボウ(新日本出版1987年初版)であったが、この本では、ランボーとバリコミュ―ンの関係等象徴詩とフランス社会との関係が詳しく語られていたが、それは、きわめて外面的な史実の記述で、私の疑問に応えるようなものではなかった。

 数年前、仲間と飯田市を訪ねたことがあり、そこで英文学者の日夏耿之介の名前を知り、彼の記念館での解説から彼の仕事に興味を持ち、書店で彼の代表的な著作、「サバト恠異帳」(ちくま学芸文庫2003年第一刷発行)を手にいれたが、大正生まれ(1890~1971)の碩学の古今東西の西欧から日本に亘るデモロジー(悪魔学)、オカルティズム(隠秘学)、ウイッチクラフト(魔女 の魔術(呪術))、ミスティシズム(神秘主義)等の知識に圧倒されるばかりで、文学の奥深さを知らされた。

2.渋澤龍彦について

以前から名前だけは、知っている渋澤龍彦に改めて興味を持つようになったのは、日夏耿之介を知った前後の時期である。そのきっかけは、数年前、死を目前にして人は何を考えるのだろうかに興味を持ち、著名な人達の最後の文章を読み散らしたことと関係がある。この時中野幸次等と並んで渋澤龍彦の「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト」という最後のエッセイ集を読み、これをきっかけとして彼の「高円丘宮航海記」を読み、次第に澁澤龍彦の世界に興味を抱くようになった。無論澁澤龍彦の名前は、「サド裁判」で知っていたし、彼の翻訳したマルキド・サドの「悪徳の栄え」はすでに高校時代に興味本位で読んだこともあった。しかし、理想主義的であった当時の私には、その世界は到底受け入れることできないものであった。しかし、今の年になってみれば、彼の世界は奥深く驚異に満ちているように思われ、それ以来、古書店で、彼の単庫本を見つけ次第に買い求めるようになり、その数は20冊以上になる。

そんな時、古書店で新たな一冊を見つけたそれが、「悪魔のいる文学史―神秘家と狂詩人―」(昭和57年2月初版)であった。澁澤龍彦(1928年~1987年8月5日)は、31歳で結婚するも9年で死別し、40歳で再婚し、59歳でなくなっているが、これは、1982年つまり彼が54歳の時の作品である。

 澁澤龍彦は、苦労人である。終戦直後旧制高校へ進学、二浪して東大文学部に入学するが、肺結核で就職できず、校正と翻訳の傍ら作家活動を行う。サドの「悪徳の栄え」の翻訳で、有罪となり、世間で歪んで受け取られるも、三島由紀夫等に評価され昭和56年には、泉鏡花賞を受賞している。

 この「悪魔のいる文学史―神秘家と狂詩人―」は、この本の文庫版のあとがきで作者み自からが語っているように、フランス文学者らしからぬ作者が書いた「純然たるフランス文学についてのエッセイ集」である。この中で彼は、フランス文学史における三つの流れについて述べている。その三つの流れとは、まず、第一にフランスにおける「神秘主義乃至隠秘主義(オカルティズム)の伝統」であり、第二に「19世紀初頭における小ロマン派の運動であり」第三は「19世紀末における象徴詩派の一部過激分子達の動向である」、ここでは、私が西欧思想の中で従来密かに探究してきた、神秘主義、ロマン主義と漠として位置付けのはっきりしていなかったフランス象徴詩運動の関係が、統一的に取り上げられていた。