2011年の震災から今年で7年経とうとしている。あの直後。私は何を感じていただろうか。そのとき感じた文章を読み返してみた。震災の記憶は遠くなりつつあるが、僕のこの気持ちは、まったく変らない。
あれから一年経った。あのとき、信じられない光景を前に、この事態をどう受け止めたらよいのか必死に考えていた。「およそ観るべきものは見、聞くべきものは聞き、知るべきことは知り、味わうべきは味わった」と思いはじめたときだった。水彩画の世界が突如として水墨画の世界に変わったような衝撃であった。その衝撃の感覚は、最愛の肉親や友を亡くしたときに似て、はじめは、それほどのダメージを感じなかったが数ヶ月経つ内に、ずっしりした心の痛みとして心の底に沈殿していった。僕の中での、何かがが変化した。そうした中で、名古屋学生の会の50周記念が行われたが、心から喜べなかった。自分だけが、陰画の世界に住んでいる感覚をうまく表現できなかつた。沈黙を守る以外になかった。あの出来事を皆は、どんな風に、受け止めたのであろうか。僕の感性が異常であったのかもしれない。
原発事故で東電批判が充満しているが、直後の東電の知り合いからは、定年直前の技術者が事故の現場で、命がけで働いているとの情報も入ってきた。技術者としての自分が、あのような現場にいたら、どんな気持ちであの事故に立ち向かっているのだろうかと思うと人ごとは思えなかった。災害の真っ只中にいたとしたら自分はどうしたのだろうか、そのなかで何を考えどう行動したのだろうか。災害の中でこそ、人間のすべてが試される。あの災害に対応できる思想とは、何か。その問いかけが、頭の中を駆け巡っていた。
あの出来事で、所属しているNPOが計画していた行事がすべて影響を受けた。予定されていた国際シンポジウムは、急遽震災をどう受け止め、復興に繋げるかの緊急集会に模様替えされた。
そのとき、技術者としての僕には、技術の分野では、設計基準とは何か、安全性とは何かが問われていると思った。武谷三男の安全性の問題に対するアプローチを手掛りにこの基本概念について考えを整理して発表した。それは、これから混迷を深めると予想される科学・技術をめぐる議論に備えるためでもあった。だが、こうした僕の問題意識に、共感してくれたのは、清華大学の若き準教授のみであった。僕は、自分の感性を伝えきれない自分に苛立ちを感ずるようになっていた。
問題の本質は、自然に比しての人間のひ弱さであり、世界の不安定さと不条理であり、あまりに、無自覚にエネルギー依存している人間と文明のあり方なのだ。だが、こうした本質的な問題は、覆い隠されたまま、人々の怒りは、原発事故を起こした東電や政府の対応等目の見える事象にのみに集中しているように思える。それが私には、思想的逃避に思えてしかたがない。これは、日本人の中で、何かが滅びつつある兆候ではないのか。そう感じた。
古の日本人は、自分を偽ることなく、悲しみに直面していたように思う。定年後、ふとしたきっかけから謡曲を習うようになったのは, 謡曲を習っていた仏文科出の友人がら、「墨田川」を聞いて、「こんなすごいものがあると感動した」という話を聞いたことがあり、そうした感動に自分も接してみたいと思ったこともあった。謡い7年、舞3年と云われて、個人教授を受けるようになって数年たった頃、知り合いとなった87歳の婦人に謡曲の謡のサークルに誘われ参加するようになり、数年経った頃、「墨田川」を謡う機会に恵まれた。
そのときのことである。シテ(主人公)役のベテランの先輩の声が、物語の中心にきたとき、思わず涙声になるのを目の当たりにした。「思わず感情が昂揚してしまった」ためであった。「墨田川」は、極めてシンプルな物語で、都から人さらいにあった子供の跡を追って東国までやってきた母親が墨田川まで、やってくるとその堤に人々が集まっているのでその理由を尋ねると、そこで、法要が行われるとのこと。何の法要かと尋ねると、人商人に連れられた幼子がここで病気になり捨てられたのを近所の人が哀れに思い保護したが、介抱も空しく亡くなった。今日がその命日であり、法要はそのためだという。その幼子の名を尋ね、それがまさしく我が子であることを知って嘆き悲しむという物語である。物語は、人々の読経の声の中に我が子の声を聞くところで終わる。
この単純な物語が何故、踊や芝居の題材となり、人々の心をとらえるのか。僕は1000年も前の物語が、人を動かすことに驚いた。そこには、悲しみを人のせいにするのではなく、悲しみそのものの純粋な表出があり、それに心が感応するためと思えた。つまり悲しみそのものに感能する能力が、人間にあり、それこそが、文化や思想の根本をつくるものではないのか、そしてそれこそが日本文化の基底となっているものではないか。
1000年も前の時代、自分の力では何とも出来ない巨大な力を前に、直面した人々の体験や悲しみを乗り越えるために生み出したのが、悲しみの純粋な表出を基本とする能であり、謡いであったように思われる。非力な人々は、悲しみへの感応を通して、よみがえり、不安定で、不条理な世界に対峙していったのでは無かろうか。こうした心のあり方、悲しみに対する感能力が、近代の合理主義や豊かさの中で、減退しつつあるのではないか。「日本人の中で、何かが滅びつつある兆候」と思われる事態とは、このことと関係している気がする。
巨大な自然、不安定な自然を前にしたときの人間のひ弱さ、はかなさ、文明とは絶えざる自然との緊張関係の上にのみ成立するものであること。このことを思い知らされたのが今回の震災と原発事故であった。そして、それは、我々の住んでいる日常世界のすぐ裏に非日常の不安定で不条理な世界があることを意味し、あたかも災害が予測可能であり、人間知が全てを制御出来、世界が日常世界からのみ成り立つかの論調は、この真実から目を背けるもののように思える。
今回のような災害は、地震だけでなく、宇宙の彼方から突如として訪れる小惑星の衝突や銀河系や太陽系の非線形な挙動からも起こりうる。人類の知や現代の文明は、こうした自然の不安定な挙動に対応するに十分な力をもっているわけではない。人類は、まだ未熟であり、成長の過程にある。そしてその人類の知を育てる,には不安定で不条理な世界と絶えず対峙する緊張感が必要である。この緊張感を喪失し、安全・安心を当然のこととするところに退廃が生まれる。絶対安全を要求する反原発派も絶対安全をいう原発推進派もこの意味では、同罪である。
あの日のほんの半年前、民主党の事業仕分けで、国交省の100年に一度の洪水を対象としたスーパー堤防の工事中止に喝采を送ったマスメデヤや国民が、手のひらを返したように1000年に一度の災害に備えよと意見を変えるのを目の当たりにすると。この国の思想の退廃を思わざるを得ない。一年経った今もマスメディアヤの主要な論調や多くの国民の意識は、願いさえすれば、安全や平和は、得られて当然のこととし、その責任を科学や技術に押し付けているように思える。しかし、こうした意識に衝撃を与えたのが、今回の震災であつたはずである。
新型ウィルスに怯え、地震に怯え、放射能に怯える姿は、豆腐が健康よいと聞けば、豆腐を買いに走り、納豆が良いと聞けば、それを買いに走る浅薄なメディヤとそれに翻弄される国民の姿そのままである。1000年前の人達が、地獄と亡霊に怯えたように現在の人々は、地震と放射能に怯えている。しかし、1000年の人々が不安定で不条理な世界を直視していたのに比べて、我々はどうだろうか。まだ、平和と安全の幻想を夢見てはいないか。
我々は、もう平和な時代に戻れない。我々の住んでいる世界の本質的な不安定さ、不条理さ、不安全さへの自覚なくして、これからの世界を語ることは出来ないはずである。逃避することなく、冷静に現実に対峙し、この世界を生きるための新たな思想が求められている。それは、現代の文明を支えている宇宙論や科学・技術等の現状と限界の正しい理解の上にしかない。