コロナのときは
コロナの時は、家の修理をしてすごした
雨樋を付け替えたり、洗面台を修理したり
トイレを取り換えたりした。
巣箱を作って蜜柑の樹にかけたりもした。
40年過かって朽ちかけた
四季桜を伐採したりした
その木片を使って
幼稚な観音像を彫ったりもした
桜の切り株は、
恨めしそうな表情を見せていたが
その根元にあざみの種が飛んできて
供物の花のように咲き乱れると
桜の切り株は、穏やかな表情になった。
コロナの直前に隣の家が取り壊され
家の一部が丸見えになった
垣根代わりに緑のネットを張り
目隠しにはゴーヤと朝顔で植えたりしが
それは初夏から秋だけ仮の囲いでしかない
隣家があると思わず切ってしまった立木
その株からは、新しい芽が出て来たが
その芽はなかなか伸びてこない
しかし、不思議なことに
知らぬ間に桐の幼木が芽を出し
アッと云う間に育って
家の目隠しとなった。
そう云えば、不思議なことはまだある。
例年になくツツジの花が多く咲き、
その花の間から、隣家が立つとき
なくなく伐採した夏蜜柑の樹が
再び芽を出し育ってきている。
コロナの年は、あじさいの花も例年になく
多くの花をつけた
そして驚くことにその花の間からも
夏蜜柑の幼木が顔を出した
これらは30年前隣家が立つとき
要請されて、実を結ぶ前に伐採し、
枯れ薬で、枯らした木が
再び蘇ってきたのだ
日が当たるということは
こんなにも神秘な力を
与えてくれるものなだ
30年前唯一残った
夏蜜柑の樹は、コロナの
時に百数十個の実をつけた
その処理に困った私は
それを都会に住む知人達に
送り届けた。
その夏蜜柑の樹は
今年は、10個ばかりの
特大の実をつけただけで
休眠している。
桜の切り株の根元には
また新しい草花が住みついている。
コロナのときは
植物達が生き生きしている
そういえば
家と道路の境界に住み着いた
ニラも例年になく、多くの
白い花を咲かせていた。
だが、鳥の巣箱は空っぽのままだ。